さようならオグリキャップ
いつかこういう日が来ることは想像していた。それでも、ふいにやってきた訃報は寂しいものだ。
昭和63年の有馬記念から競馬を始めた。当時、タマモクロスとオグリキャップの芦毛対決が話題になっていてそれに乗っかったのが競馬人生の始まりになった。平成元年はそれこそ年頭からWINSにも良く通った。そして、秋。オールカマーでオグリが復活。熱狂しましたね。府中には通いました。毎日王冠、天皇賞、そしてJC。どれもこれもが激戦、文句のつけようがなかった。有馬はもう一つだったけど、おなかいっぱいというシーズン。
翌年は安田記念をほとんど持ったままでレコード勝ち。1分32秒4は驚きだった。それからはあまり調子がよくなく、スポーツ新聞紙面はオグリ引退の話題が多かった。ラストランは大きな話題になったけど、それよりも引退式でのデモがあまりに速かったのが思い出としてはある。
北海道まで行ければ牧場で見ることはできたかもしれないが、なかなか予算の兼ね合いがあって難しかった。やっぱり、無理してでも行っておくべきだったかなぁ。
JRAがイメージ戦略を持ち出して、小林薫のCMで客層を広げようとしていた頃。競馬場はきれいになり、武豊という新しいスタージョッキーが現れ、イナリワン、スーパークリーク、一つ下のマックやライアンといった華のある強い馬の層が形成された時期。その中核はオグリキャップだったと思う。地方出身で血統もあまり良くない。そんな馬が思わず応援したくなるような劇走を見せてくれる。世はバブルの時代でなんでも手に届きそうな雰囲気があった。そういう時代だったからなおさらオグリキャップの走りは胸をえぐるような力強さを見せてくれていたように思う。苦しんで苦しんでつかんだものが本物なんだといわんばかりに。
東京競馬場の冬枯れのオレンジ色のターフを追い込んでくるオグリキャップの姿はいつでも頭の中にプレイバックできる。少なくともあの姿にはいつでも会える。いままでお疲れ様でした。天国で安らかに。
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